【89~92日目】中国からベトナムへ!少数民族の村を多数訪れ、個性が輝く地域のコミュニティとはなんなのかを考えた。

人は生まれた時、

流れる時間に色などない。

ある日黒が一角に置かれた。

どんどん碁盤は黒に染まっていく。

黒の碁石の上から白い絵の具を塗ってみた。

でもすぐに絵の具なんて削り取られてしまった。

黒を爪で剥がそうとした。

ただ傷つけてしまっただけだった。

 

ただみんな忘れているだけなんだ。

白と白で黒は白になるし

黒と黒で白は黒になる。

細胞同士は互いに作用し合い、人間を作る。

人間同士は互いに作用し合い、エコシステムを作る。

 

弱肉強食。

正論を振りかざす先生など少数民族

大きなうねりは、刺激と反応に隙間を作らず、

人間も、エコシステムをも食らう。

だからこそ、今一度考えたい。

 

世の中に単純な2項対立など断じてない。

世の中、白と黒だけじゃない。

世の中、男と女だけじゃない。

世の中、大学卒業したら就職する人だけじゃない。

だから、世の中面白い。

一人一人が今日を生きる意味がある。

 

僕が少数民族の村を何度も訪れる理由は、

誰もが本当に自分らしく生きるとはどういうことなのか

場という集合体において個性の発揮はいかになされるべきなのか

場という集合体が大きな国家や時の流れにいかに飲み込まれないか

ということをこの目でしっかりと確認し、

足で踏みしめ体で記憶し、

ローカルコミュニティをビジネスという形で体現しようとした自分の

明日を考えるためであった。

 

 

 

 2018年7月26日(木)

中国雲南省最南端の街・河口。

ベトナム人と中国人の入り乱れる街。

昼間歩いていると非常に蒸し暑い。

ここから、少数民族の宝庫であるベトナムへの玄関口・ラオカイ を目指す。

f:id:ina-tabi:20180728205606j:plain

 

中国側はかなりセキュリティが厳しい。

河口に向かうバスの検問所で銃を持った警官に2回ほど引き止められ、

国境で最後の検問は長い時間を要した。

門を越えると、

ベトナム側はかなりセキュリティがゆるい。

すんなりと通れた。

排他と寛容のギャップを味わうのにこれほど適した国境はないだろう。

f:id:ina-tabi:20180802141204j:plain

 

ベトナム最北端の街・ラオカイ 。

ベトナム人と中国人とヨーロッパ人が入り乱れる街。

ここに入るとまず驚くべき体験をする。

道ゆく人に次々に声をかけられるのだ。

これ買わないか。

タクシー乗っていかないか。

ホテル泊まらないか。

めちゃくちゃ遠くから声をかけるもんだから、

すごくフレンドリーな国民性を持っているとわかる。

しかし、一方でとても貧しい街という印象を持った。

お客さんが欲しくてたまらないという雰囲気が伝わって来た。

f:id:ina-tabi:20180728210002j:plain

 

 

川沿いの階段で夜中にうたた寝をしていた。

夢ばかり見た。

最後に3度目くらいに目覚めた時に、

横に人が座っているのが見えた。

おそらく間違いだろうと思ってよくよく見ると、

やはり座っていた。

車のライトがぼんやりとそれを照らした。

それはとても不思議な光景だった。

同時に恐ろしくなった。

ぼくは何を思ったかその場を立ち去った。

立ち去る瞬間真横を振り向くと誰もいなかった。

あれは何を意味していたのだろうか。

旅をしていると時々、

こういう不思議な体験をする。

f:id:ina-tabi:20180802142134j:plain

 

 

2018年7月27日(金)

ベトナム最北の田舎街・サパ。

早朝に僕が向かった街は「観光地化」された、

ヨーロッパ人と少数民族の街だった。

僕が見たい少数民族の姿ではなかったが、

ヨーロッパとベトナム少数民族という異色のコラボを、

ただ観察してみた。

少数民族の衣装を身にまとったある少女は、

無表情で僕の方を見つめてきた。

僕はそれに応えるように笑顔で見つめ返してみた。

手作りのアクセサリーを薦めてきた。

僕は心の底から欲しいと思って一個買った。

売れたのに笑顔も見せず、

もう一個買って欲しいと言ってきた。

僕は心の底から欲しいと思っていないので断った。

ねだることしか知らないように見えるその少女を

ぼくは機械と思ってしまった。

A=Bがプログラミングされてしまった世界があることを

僕たちは忘れてはいけない。

f:id:ina-tabi:20180802142436j:plain

 

 

ある少女が民族衣装を着て眠っていた。

見世物。

人々はこぞって写真を撮った。

マイノリティは見世物になってしまうのだ。

世の中にある縦関係とは、

時に人々に違和感をもたらす。

f:id:ina-tabi:20180728211955p:plain

 

ベトナムサパから徒歩圏内・キャットキャット村。

そこにあるのは、一見のどかな農村であった。

しかし、ぼくは徐々にテーマパークに見えて来た。

暮らしの場よりは観光地感が強い。

とある少数民族の人があとをつけて来た。

店に入ってかわそうとしてもついて来た。

走ってもついて来た。

どれだけ商品を買って欲しいのだよ!!!

その絶え間ない執着心に、

この周辺の村の現実を見て、

自分がどれだけ豊かな環境にいたかを知った。

f:id:ina-tabi:20180728210506j:plain

 

 

2018年7月28日(土)

ベトナム最北の田舎村・カンカウ。

もっと山奥に行かないといけないと思った。

ラオカイから3時間ほどバスに乗ってバクハ へ。

そこからまた2時間ほどバスに乗ってカンカウという街についた。

この村は土曜日になると市が立つという情報を耳にしたので、

早速バスを乗り継いで早朝から市を散策した。

そこは想像を絶するほど豊かで、

本当の意味で「自然」な暮らしをしていた。

この旅で見たいものに近いものが見られた。

f:id:ina-tabi:20180728211119j:plain

 

牛がたくさん取引されていた。

田畑を耕したり、フンを堆肥にするためであろう。

不必要に牛をひどく扱うでもなく、

草を食べたいならそれを見守ってあげていた。

人と家畜はできる限り目線を合わせているようだった。

f:id:ina-tabi:20180802145119j:plain

 

人々は自分好みの少数民族の衣装に身を固め、

とても生き生きと生活を送っていた。

その土地で採れた素材を生かした、

色も形も様々なデザインが見られた。

伝統を守りながらも、

それが自分の個性を押しつぶすでもなく、

むしろ生かしていると思った。

人々のその生き様は地球にキスをするかのように

とても輝いていた。

f:id:ina-tabi:20180802145130j:plain

 

食事は豪華とは言えないが、

質素であっても貧しくはなく、

日本の美意識であるわびさびの美意識を感じた。

ここら辺の食事は、調味料や香辛料のレパートリーがおおい。

自分好みの味や素材の食を楽しめるのは良い。

f:id:ina-tabi:20180802145147j:plain

 

鶏を捕らえて、村に帰る青年を見た。

その背中は堂々と、自由に、のびのびとしていた。

自然の命を腹のなかに収めるという本当の意味を

この若い青年は知っているように見えた。

人が豊かに生きるためには、

自然という莫大な資源が全ての根元に存在していて、

それをわずかばかりにでも意識して生きることが

大事だということを教えてくれた。

f:id:ina-tabi:20180802145218j:plain

 

山はどこまでも深く、人々はそれを追求しつつも

どこかのんびりとそれを楽しんでいた。

f:id:ina-tabi:20180802145255j:plain

 

村を巡っていて気づいたら、

靴は牛のフンと泥まみれで、

何がフンで何が泥かわからなくなった。

汚いという感情が

いつのまにか消えていた。

f:id:ina-tabi:20180802145317j:plain

 

2018年7月29日(日)

ベトナム最北部の街・バクハ  

翌日、バクハ の日曜日の定期市にも行ってみた。

いくつか面白い食べ物はあったものの、カンカウほどの衝撃はなかったので省略。

この後、中国の河口に戻ることにする。

f:id:ina-tabi:20180802121949j:plain

 

 

ベトナム少数民族の村巡りからおもったこと。

僕は、まず人々が集まる賑わいが好きである。

台湾の夜市巡りの時からそれは不動のものになりつつある。

その中でも、個性や独自性が発揮されている瞬間面白いと感じる。

集合と個性の発揮をどう満たせるかを考えている。

完全にそこはソフトよりの考え方。

 

ただし、そういう行為の周辺による影響力は拭いきれない。

カンカウの村も周辺の自然気候風土など周辺の環境や、住居や広場といった箱によって形成された行為であることはまざまざと感じた。

その上で、創作したくなる。

だから、自分の立ち位置を確認してみると、

最も人に寄り添い、

心地よい人の集合が作れるような

空間の構造や意匠、媒体のデザインを提供できる人間

になりたいのではないかと考えるに至っている。

しかし、まだ確証は得ていない。

 

 

ベトナムに入ってからいつのまにか、

観光地化されていない村を巡っている自分に気づいた。

少数民族とは村の中でたった1人の日本人。

すなわち僕のことだ。

また明日、100対1の楽園を個性的に遊歩していけたら嬉しい。

 

 

<今日ご紹介したエリア>

f:id:ina-tabi:20180802161855p:plain

 

 

 

【87~88日目】中国雲南省入国!少数民族の市場や広場はとても刺激的だった。

僕にとっての中国は、

心に残るものとの出会いがテーマだ。

自分の手の届かないもの。

何十年たっても忘れないであろうもの。

そんなものに1つでも巡り会えたら幸せだ。

何かを形にしていこうとする時に、

そういうものとどれだけ出会えるか。

中国の秘境で「少数民族」の実態を

捉えるべく旅をした。

最初の2日間の記録。

いきなり濃密な旅となる。

 

 

2018年7月24日(火) 

中国雲南省昆明→南沙

 

僕は中国雲南省に降り立った。

午前6時。

眠い目をこすりながら、地下鉄に乗った。

市内への地下鉄が地上に頭を出したとき、

僕は目を疑った。

辺りは一面白い霧、いや排気ガスか、PM2.5か。

視界は曇り、何も見えなかった。

誰かが魔法でもかけたのだろうか。

同時に、自分は何者なのかもわからなくなった。

 

 

昆明から建水へは電車で約3時間ほどの道のりだった。

市街地まではバス。

辺りは次第に木造の立派な建築物が姿を表す。

中国という大きな国が紡ぎ出す弾かれた歴史。

500年時が止まったかのごとく存在する街。

木造街路樹石畳が紡ぎ出すハーモニーが美しい。

こういうデザインは好きだ。

その中で、トランプや昼寝や碁に明け暮れる人々。

中国語しか通じない観光地化されていない独自の文化圏が

まるでユートピアに思えてきた。

f:id:ina-tabi:20180727231408p:plain

 

 

建水から南沙まではバスで3時間ほどの道のりだった。

途中の道のりはガタガタできつかった。

タバコを平気で吸う人、

大声で叫ぶ人、

窓から何十回もゴミを捨てる人、

ラクションを鳴らしまくって見せつける運転手、

怒鳴り合いの喧嘩をする人、

もうバス内が激しすぎた。

全員の目がギラギラしていた。

誰1人かっこいいと思える大人はいなかった。

子供はこれを見てどう思うんだろう。

周りの美しい自然とは対照的なその情景は、

自然をも飲み込む気迫があった。

これこそが良くも悪くも、

中国の力だと思った。

 

 

南沙では宿を探した。

「酒店」か「住宿」と書かれているのが宿だ。

10件くらい回って一番いいところを選んだ。

人が暖かかった。

60元で手を打ってここに決めた。

何事も最後は「人」を見て決める。

f:id:ina-tabi:20180727233300j:plain

 

晩御飯は、近くの出店に行った。

例のごとくど田舎すぎて中国語しか通じない。

いままで食べた中で3本指に入るくらいに、

激激檄激激激檄激辛な食べ物を口にした。

それは、焼うどんのようなものだった。

見た目は普通なのだが、

胡椒を丸ごと口にしたかのような味がした。

唇の皮が破けると思ったので、

甘いジュースで流し込んだ。

その土地のものはなんでも胃袋に収める。

これが、僕にとっての「観光」だった。

どこでもいつでも

まずは「食べ物」から観光は始まる。

f:id:ina-tabi:20180727225912p:plain

 

 

 

 

 

2018年7月25日(火) 

中国雲南省・南沙→新街鎮→(名前不詳の村)→新街鎮

 

僕はこの日、

自分の核心的なものに2回ぶちあたった。

それは「人々の集合」「個性の発揮」

を満たすものであった。

1回目は南沙の早朝の市場。

2回目は新街鎮の夜の広場。

 

南沙の朝は早い。

6時に起きるともう市場は動いていた。

延々と続く人垣。

最初に目にしたのは牛の頭だった。

最終段階だった。

ナイフを持つ裸の男は牛の頭と対峙していた。

解体された牛の骨は、市場の人垣の足元に転がった。

人々は骨など気にせず平然と歩いていた。

肉は大きなテーブルに延々と並べられた。

そのほかにもアヒルやカエル様々な生き物が

食肉となっていった。

僕はそれを見て、

生き物と人間とが一体になったと思った。

牛=人間

ヒル=人間

カエル=人間

何も恐れることなく、

何気ない神聖なる日常に落とし込もうとした。

f:id:ina-tabi:20180727222719j:plain

 

 

ほとばしる血が物語る。

ほとばしる汗が物語る。

人々は生き生きとこの市場に集まり、

想い想いのメシを手に入れる。

半分は民族衣装を着た女性。

数限りなく様々な色とりどりの民族が、

この市場に集合する。

こんな生き生きとした「市場」は初めて見た。

改めて人々がきらめく、

心に残る「場」を作りたいと思った。

f:id:ina-tabi:20180727223804p:plain

 

ハニ族が集まるという新街鎮に行くことにした。

バスがないので、タクシーを拾って2時間。

やっとこさついた。

それから、ハニ族の本格的な田んぼが見たいと思って、

タクシーを拾って1時間。

方向が間違っていることを知る。

まあ、多少棚田の景色が見れたからいいか。

最近はストーリー中毒

別に結果なんてどうでもよくなってきている。

泊まりは新街鎮。

f:id:ina-tabi:20180727230116j:plain

 

新街鎮は坂の町だ。

山の斜面に作られている。

昇り下りは急峻で偏りがあるのか、

一部の通りが栄え、一部の通りが空き家街になっていた。

メインの通りの両サイドには商店街がずらりと並び、

ハニ族の衣装を売っている店が目立った。

どのように衣装を作っているのかがわかり、

伝統が大衆化されていると思った。

日本で着物を着るのは特別な時だけ。

でも、ハニ族は毎日着ているような感覚。

メインの通りはとある大きな広場へと続いていた。

f:id:ina-tabi:20180727235109p:plain

 

夜、面白いものを見た。

ハニ族の人々が広場に集まり始めた。

若者が歌を自然と歌い始めた。

女性は踊りを始めた。

子供は遊具で遊び始めた。

出店もちらほら。

踊りの質は大したことないけれども。

皆が自然とその場にいることを楽しんでいた。

これには本当に感動した。

なんで?

イベントを仕組んだわけでもないのに。

祭りの日でもないのに。

ここに集まろうと決めたわけでもないのに。

自然と皆が集まって楽しめるのだ。

こういう日常の豊かさと

場の吸引力の強さに感動した。

中国のど田舎の辺境に、

僕の作りたいもの一端を見た。

f:id:ina-tabi:20180727231158p:plain

 

市場も広場もそうだけど、

場によって、人々は幸せになると思った。

コミュニティでもなく、

サークルでもなく、

グループでもなく、

ここでは単なる場に対する面白さを感じた。

 

日本に帰ってからの

新しいアイデアも浮かんだ。

 

今日の自分は、昨日の自分よりもほんの少しだけ

発想の幅が広がった気がする。

 

 

 

 

 

 

<今回ご紹介したエリア>

f:id:ina-tabi:20180728083045p:plain

 

 

前回の中国旅はこちら

ina-tabi.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【86日目】A simple question: what is the solution of local community problems?

We have 3 big problems in local community.

①Depopulation

(few young people, many eldery people)

②Economic growth

③Sustainability

 

 

How can we solve these problems?

The solution is by our skill.

We have an answer, but we have never noticed that.

 

 

What is my skill?

I have to learn new skill...

But, this is not the solution.

I already have the skill.

This is true.

 

 

Will I have to get qualification?

ーNo.

 

Will I have to see more local communities?

ーNo.

 

Will I have to do work in some companies?

ーNo.

 

I already have the skill.

 

 

I can say with certainty.

I can make a community.

The community is like a moving and international village.

People, goods and infomation is moving.

This community will solve social ploblems in each local community.

How can I solve these problems?

My journey will continue.

2018.7.21 

 

 

f:id:ina-tabi:20180722000015j:plain

The Pier-2 Art Center, Kaohsiung,Taiwan

【85日目】台湾にて!山奥にある伝統工芸品の村「石門」を訪問!

台中のデザイン会社「好心地文創」。

僕は現在ここで仕事体験させていただいている。

今回は工芸品を作る村を訪れるツアーにジョイン。

ツアーの目的としては、

工芸品そのものをただ楽しむだけでなく

その村の全てを味わってもらおうというもの。

体験型のツアーに胸が踊る。

 

 

このツアーのスタッフの片隅に加えていただき、

今回は「石門」という山奥の村を訪問した。

今回も、いいカメラを持っているね!ということでカメラマン(笑)

→場所はこのリンク参照。

 

www.google.com.tw

 

今回のツアー参加者は、子供からご年配の方まで様々で総勢50名ほど。

大半の人は、工芸品づくりのコミュニティに所属している。

今回の村視察を自分の村での活動に生かそうと考えている人が多くみられた。

海外メンバーは僕とマレーシアの人の2人。

あとは、台湾の比較的近い地域に住んでいる人が大半だった。

 

台中から長距離バスに乗って1時間ほど。

山奥の村・石門に着くと、まず祠に案内してもらった。

f:id:ina-tabi:20180720193923j:plain

神聖なる祠である。

この土地の全てを見守っているとのこと。

f:id:ina-tabi:20180720195327j:plain

一番左手のマイク片手に村を案内するのがこの村のリーダー。

村の様々な魅力的な場所に連れて行ってくれた。

甲高い声に、やさしい口調。

どことなくリーダーらしい感じの人だった。

f:id:ina-tabi:20180720195544p:plain

この土地は自然豊かで、人々は自然とともに共生している。

熱帯ならではのみたことも聞いたこともないようなフルーツが盛りだくさん。

人々が「デザート」と呼ぶ食べ物の数々をいただいた。

まずは、これ。名前不明。

f:id:ina-tabi:20180720195704j:plain

手でバキッツと割ると中に種がたくさんある。

これを手ですくい上げて食べるようだ。

果肉ではなく、種をメインで食するフルーツを僕は初めて食べた。

f:id:ina-tabi:20180720195711j:plain

次はこの花。名前不明。

たくさん食べると、毒があるよ!という説明があったが、

みな普通にバクバク食べている(笑)

花びらを何もつけずに食べたのだが、意外とみずみずしくてうまかった。

この花を水に浸して置いておくと、ほんのり甘いジュースのような味になるようだ。

f:id:ina-tabi:20180720200852j:plain

つぎにこれ。

日本人は見慣れているであろう、落花生。

ここで食べた落花生は、少し甘くて柔らかかった。

f:id:ina-tabi:20180720200859j:plain

このスープは、日本でいうぜんざいみたいな感じ。

たくさんの甘い豆が入ったスープみたいな感じで、甘くてうまかった。

f:id:ina-tabi:20180720200902j:plain

 

デザートを食べた後、僕らは周辺の森を散策した。

f:id:ina-tabi:20180720195855j:plain

様々な種類の木に実がなっていた。

もぎ取って好きに食べていいよという感じだった。

これは、まるでブルーベリーのような味だったが、木が太いから違う。

日本人の僕には、木と実がまるで別物に見えてしまった。

木がイヤリングをつけるように、その実は異彩を放っていた。

f:id:ina-tabi:20180720201105j:plain

美しい蝶もたくさんいた。

静かに羽を揺らし飛んでいた。

捕まえようと思えば、すぐ捕まえられた。

でも、僕は捕まえなかった。

その美しい羽を、ただただ見つめていた。

f:id:ina-tabi:20180720200027j:plain

花のように見えるが花ではない。

この木の実の甘さは半端なかった。

砂糖を丸ごと口にしているかのような甘さで、

舌の上で瞬時にとろけるその果実は、

まるで宇宙からの贈り物に思えた。

f:id:ina-tabi:20180720200000j:plain

さて、僕らはお昼ご飯を食べるために集会所に移動した。

バイキング形式で、様々なその土地のものを食した。

丼が1つで、その中にご飯もおかずもごちゃまぜで入れまくる方式だった。

味はどれも簡素ながら手の込んだ、ふるさとの味を思わせる。

f:id:ina-tabi:20180720224641j:plain

こんな感じ。

f:id:ina-tabi:20180720224841j:plain

 

ご飯の後は、リーダーから村についての紹介があった。

台湾語だった。

幸い英語ができる人が数人いたので、通訳してくれた。

私たちの村のコンセプトは「家族」です。

と穏やかに、

でも力強く語っていた。

土地を愛し、仲間を愛し、自然を愛してきたリーダーに感銘を受けた。

f:id:ina-tabi:20180720200101p:plain

 

そして、

「1年間365日、私たちはこの集会所に集う」

と言っていた。

年配の方が増えてきて、アルツハイマーを患っている人も多いらしい。

そんな中で、政府がデイケアのための資金を50万円の資金提供を行なった。

それがきっかけとなって協会が立ち上がり、今に至る。

活動内容は、

ツアー客を受け入れて文化体験を提供すること

伝統工芸品を制作すること

などがあげられる。

地域でともに支えあっていこうという小規模コミュニティだ。

 

リーダーによる村の紹介のあと、

村の人は自然と歌を唄いだした。

今日は私たちの村を訪れてくれたお祝いです。

という感じなのだろうか。

「石門填」はとりわけ誕生日とかお祝い事の際に唄う歌らしい。

みんな元気だ。

歌を歌うのは、数分にとどまらず、1時間くらい歌っていた。

本当にかけがえのない集い、そして喜びとはなんであろうか。

f:id:ina-tabi:20180720200116j:plain

 

 

最後に石門の人々が制作している工芸品の数々をご紹介。

 

これに一番感動した。

一枚の布に、絵でストーリーが描かれている。

これはなんと一枚完結型のストーリーである。

言語が通じず、どのような内容を表しているかは読み取れなかった。

しかし、この写真の中だけでも、

12個分のストーリーが表現されていると思うと手が込んでいる。

おそらく、この土地に由来する話であろう。

f:id:ina-tabi:20180720231513j:plain

これは、布で作ったコースター。

f:id:ina-tabi:20180720200136j:plain

こんな布の使い方も。おしゃれ。

f:id:ina-tabi:20180720200615j:plain

これは楽器のようだが、使い方はわからず。

でも、なんか可愛げがある。

f:id:ina-tabi:20180720200149j:plain

 

台湾の山奥にあるとある工芸村。

食、工芸品などの驚きの数々は冒険心を掻き立てた。

そこは自分にとって未知の世界そのものだった。

このストーリーはかけがえのない経験として、

僕の中に刻み込まれた。

 

工芸品の高い安いはあんまり関係なかった。

そういう物差しで考えているとつまらなくなる。

 

高級品とはいわば、「位置エネルギー」のようなものである。

目に見えて数値化できる価値である。

奪われたり無くしたりして、言葉通り落ち込むだろう。

一方で、ストーリーとは一瞬のうちに固まる性質を持つ。

未来永劫価値は変動しない。

 

台湾の人々は口々に日本よりは質が高くないけど、、、。

と僕の前で話してくれるけど。

僕にとっては、その土地の空気を吸って、うまいものを食べて、人と触れ合って、

未知なる経験ののちに、手に取った工芸品は最高だ。

たとえその工芸品を無くしても、心の中で生き続ける。

キラキラした青春のような生き生きとした豊かさを、

いつまでも心に残る圧倒的な何かを、

旅の中で見つけて生きたい。

 

 

※好心地文創FACEBOOK

https://www.facebook.com/howdyInTw/

 

※前回の記事(好心地文創の紹介)はこちら。

ina-tabi.hatenablog.com

【81日目】台湾の台中にて!デザインワークショップのカメラマンをやる!

台中では好心地文創(Howdy Creative)で仕事体験をさせていただいている。

好心地文創は、デザイン会社だ。

職人が集まるローカルコミュニティの支援を行なっている。

特に、アートや工芸品に関する開発やプロモーションがメインだ。

最近では、プロモーションの一環としてツーリズムに力を入れていて、旅行者に作品を作る現場を見てもらい、体感してもらうことにも力を入れている。

Howdy Taiwan 好,的 臺灣工藝店 Howdy.tw - 臺灣土生工藝店 Howdy.tw

f:id:ina-tabi:20180717120700p:plain

 

 

このデザイン会社を作ったクマさん(黃奕杰さん)とは、石川県加賀市で出会った。

日本のデザイン系のコミュニティ、美術館、ギャラリーなどを視察されていたところであった。

デザインが人と人とをつなぎ、コミュニティを形成することに取り組んでおられることに感銘を受け、台湾でお会したい旨を伝えた。

ぼくが中国語や英語を流暢に話せないため、言葉があまり通じない中で、快諾していただき、本当にありがたい。

f:id:ina-tabi:20180717115858j:plain

 

 

 

 2018年7月17日(火)

CC DESIGN WORKSHOP

台湾全国の15個の職人コミュニティを集めたデザインワークショップが開かれた。

いいカメラを持っているね!ということで、

僕はこのワークショップのカメラマンをやることになった(笑)

好心地文創は昨年は38、今年は44の職人コミュニティの視察を行なったという。

そこで、どのような工芸品が作られ、どのような過程で、誰がどのような想いを込めて作っているのかを調べた。

それを映像にまとめるとともに、情報としてまとめる作業を行なった。

それをこれから商品開発を磨いていこうという人々に対して伝え、議論し、実際に作成していくというのが今回のワークショップに至る経緯である。

 

<基本情報>

老若男女30人、15の職人コミュニティもの人々がこのプログラムに今回参加をした。

所属コミュニティとしては、圧倒的にNPOの人が多く、地域ごとにNPOを組織することによって、職人コミュニティを形成しているということがわかった。

日程は、7/17~19,8/6~7,8/20の全6日間行われる。

このプログラムは参加者が参加費を払う必要がなく、運営者はパブリックセクターからのお金で運営を行なっている。

こういうことに対して、政府の理解が得られるというのはとても素晴らしい。

作品を発想し、作成し、プロモーションしていくまで学べる。

これは、その地域をより良くするという文脈で語られるもので、個人の創作活動のみに留まらない点が特徴である。

f:id:ina-tabi:20180717234428j:plain

 

 

<僕の視点>

実は大学生のころ、アジアの途上国の 伝統工芸品などを、大学の生協や文化祭で販売するサークルに所属していたことがある。

大学内に留まらず、より大きな活動にしていきたいと考え、

大学3年生の6月に合同会社をつくった。

そして、ネットショップの立ち上げと、大学外のイベント出店をメインとして、これらの製品を販売する販路を拡大することができた。

このとき、葛藤があったものの、

商品を「フェアトレード製品」として販売していた。

フェアトレード」という言葉に反応して、商品を購入する人は2パターンの人が少なからずいる。

1つ目は本気で商品に魅力を感じて買ってくれる人、もう1つは支援したいからという理由で商品を買ってくれる人。

後者はとてもありがたいが、なるべく前者の理由で購入してもらった方が生産に関して持続性が担保されると思う。

生産者は商品を気に入ってくれた人に買って欲しいだろうし、コミュニティにおける商品の開発スキルも高まっていくとおもう。

本当の三方良しのプロモーションとは何か今一度考えたいし、買い手に喜んでもらえる商品が一番だと思う。

僕にとってこの「ストーリーの適切さ」と「商品力」というのは、着目すべきポイントとして、今回のワークショップに臨んだ。

 

※1フェアトレード

発展途上国で作られた作物や製品を適正な価格で継続的に取引することによって、生産者の持続的な生活向上を支える仕組み

http://www.wakachiai.com/fairtrade/about_fairtrade/

 

実際に売っていた商品の数々。

f:id:ina-tabi:20180717123109j:plain

 

 

<今日のワークショップの内容>

9:00~9:30 開会の言葉

9:30~12:00 イントロダクション

自己紹介や、伝統工芸品に関する着想・自分には何作れる?みたいなのを議論してから、一人一人自分の視点について発表を行なっていく。一人一人が誇りを持って自分たちの商品を語る姿はとても印象的だった。かばん、人形、明かり、カゴ、食べ物など本当に様々だ。

13:00~17:00 ゲストが登場

商品を作る目的やコンセプトなどからどうやって売っていけば良いかなど全体的な視点について、デザイナーをお呼びしてレクチャー。

※こちらがレクチャーのスケジュール。

ところどころに「課程討論」の文字があるが、これはディスカッションという意味。

全ての講義が基本的には、インプットと組み合わせてアウトプットの機会を作っているのは参加型で面白い。

f:id:ina-tabi:20180717122337j:plain

f:id:ina-tabi:20180717163952j:plain

 

このデザインワークショップにおける好心地文創の立ち位置はプロデューサーやディレクターに近い感じだった。

つまり、全体的なワークショップの企画と運営を行うというものだ。

そして、全て自分たちが担うのではなく、各セクションのプロフェッショナルを呼んで作り手を増やし、ワークショップを構成していた。

 

このようなワークショップは日本にはまだまだ少ないだろう。なぜなら、台湾は日本と比べるとかなり地理的にコンパクトで協力関係を作りやすい。

伝統工芸品の分野は様々、所属コミュニティも様々でも、協力しあって共に学んでいこうという機運がある。

これはかなり面白いと思った。

日本でやるとしたら、九谷焼なら九谷焼!みたいな感じで勉強会は開くかもしれないけど、

地域のコミュニティと工芸品の結びつきの強さや、横断型の学びの場があるというのは台湾ならではの特色だろう。

 

全ての工芸品において何か本質的な部分が繋がっていて、今まで作ってきた商品のクオリティやプロモーション力がどんどんアップされていくような学びの多様性と質がとても高いと感じた。

 

まだまだ、デザインワークショップは始まったばかり。

日本の職人コミュニティと比較しながら様々な気づきが生まれそうで楽しみだ。

明日、明後日と引き続き楽しみたい。

 

 

 

 

【80日目】台湾の台中にて!僕が今考えている「旅」との向き合い方!

 

僕はクリエイター的な思考を意識して旅している。

 

クリエイターは常に2面的に生活していると思う。

ひとつは技術の向上によって「現場力」を高めること。

もうひとつは、「イデアの源泉」に触れること。

旅は後者。

イデアの源泉。

とあるクリエイターは、

1年の半分を仕事、半分を遊びに使うという。

かなり最適化された生き方と思う。

僕もそういう生き方がしてみたい。

 

今回の着目ポイントは「日本と台湾のギャップ」。

ポジティブはネガティブを内包する。

だからあえて分けずに自由に書いてみる。

 

①生活コストが安い

現代において、生きるのにはお金を払わねばならない。

何に対して払うか。

特に、交通と食。

交通はA地点からB地点に対する移動。

毎日3食のご飯。

これは欠かせない。

これらが、圧倒的に安いのが台湾。

台中はバスが無料。

肉の丼ぶりは100円あれば食える。

これは「安くて量が多い」が好きな人には楽しめる環境。

 

②汗をたくさんかく

これは機会損失につながっている?

汗かいている→臭くなる→人に会うときに物怖じする

汗かいている→洗濯が頻繁→時間を喪失する

汗かいている→Tシャツかえる→予備を持ち歩く手間がかかる

けど、こういう感情も持った。

汗かいている→人肌が触れると汗が交換される→仲が深まるかも

台湾を語る上では「汗」の存在は欠かせないだろうな。

 

 

③バイクが多い

交通は、スムーズでない。

バスは15分遅れとか当たり前。

単純に交通渋滞とかが頻繁で時間が読みにくい。

だから、人が怠惰というよりは、

交通システムに翻弄されていると考えたほうが早いだろう。

これらの理由から、柔軟性が高い文化性がある。

仕事中に多少のミスとかもギクシャクしにくいとか、そういう文化性はある。

これは面白い。

 

④お冷やが出ない

これは、最初きつかった。

汗ダラダラで、乾いた麺とか食べると、

お冷やがめちゃくちゃ欲しくなる。

でも、お金払わないと、飲み物が飲めない。

うーん。

ただ、お冷や出さない店って、プライドあるよな。

飲み物うまいのあるしせめて一杯買ってほしいみたいな。

日本でお冷や出さないのはこの手の店かも。

台湾で出さないのは単純に習慣の問題か。

 

⑤何かと早い。

 

車の運転、喋るスペードは単純に早いと思った。

あと、横断歩道渡るときに、

歩行者が、車を通り過ぎるのを待たない。

車の運転手も同じで、歩行者を通り過ぎるのを待たない。

結果、車と歩行者は接近するわけで。

せかせかしていて。

それでも、クラクションが鳴る総数は少ないというおもろさ。

空間に対する解像度高いのかな。

見えないものが見えているというか。

まあ危険という言葉で片付ければ簡潔すぎる。

あえていうならば、

「日本人の1秒と台湾人の1秒は違う」

とでもいうべきであろう。

 

総じて、台湾の旅のスタンスは、、、。

親日ゆえに、人対人が繋がり、コミュニケーションに対する質が高い。

インプットに対する効率高い。

ビジネス展開に対するチャンスが高い。

そういう意味で、可能性を感じるのが台湾。

 

逆に、言語・情報機器の使いやすさなどの側面から、コミュニケーションの質高められない国って、訪問理由をフィーリング(感じること)に対して特化して行く必要があると常々感じる。

中国の訪問理由はまさにこれ。

単純に、これすげーーーーーっていうものに出会いに行く(笑) 

そこから発想をスタートして行く。

絶対に心に残るものに出会うってのは大事。

7月23日からは、中国楽しみ。

台湾とは違う頭の使い方で楽しみたい。

そんで、中国の後は8月中旬に島根県に一時帰国する予定。

「技術の向上」のフェーズも徐々に高めて行くときだな。

 

 

ps.

台湾の旅は前半戦終了。

昨日から、宿泊拠点を変更。

台北Starbox hostelから、台中HowdyCreativeに!

これからディープなローカルコミュニティに密着していきます。

これはStarboxhostelのロビー。

f:id:ina-tabi:20180716204941j:plain

 

Starbox hostel

http://www.bigbox.com.tw/

 

Howdy creative

https://howdy.tw/

 

 

 

 

 

 

 

 

【74日目】台湾でネコだらけの村「猫村」に突入!30分ネコと対話して考えた『まちづくり』

台北は、蒸し暑い快晴。

セミはミンミン。

電車はガタゴト。

ゆっくりとある村へと向かった。

台北から2時間。

僕が目を覚まし窓を覗くと、青々とした緑。

サワサワと川が音を立てる。

森を被ったゴツゴツとした山々が僕を出迎えた。

まもなく駅に降り立つ。

その駅の名は猴硐(ホウトン)駅。

人々はこの土地を「猫村」と呼ぶ。

 

人間がネコと暮らし始めたのは、約9500年前と言われる。

狩猟において、ネコは常に人間の敵だった。

獲物に対して競合するからである。

ところが、人間が農耕を始めると関係性は急変する。

ネコはネズミは食べる。

人間にとって、穀物を食い荒らすネズミを退治してくれることは

この上ない喜びだった。

そこで、人間はネコを飼い始めた。

人間は穀物は欲しいけど、ネズミはいらない。

ネコは穀物はいらないけど、ネズミはほしい。

人間とネコの利害は見事に一致したのである。

 

この村でも、同じだった。

ネコは非常に合理的な理由で、人間と共生していた。

猫村は日本統治時代、炭鉱の村だった。

炭鉱の設備で使われる木の柱などをネズミが食うのを防ぐために、

村人はネコを飼いはじめた。

後に、世界的に名だたる猫の村になるとは誰も思わなかっただろう。

f:id:ina-tabi:20180710035612j:plain

 

この村の構造は、面白い。 

 駅から伸びる一本のトンネルが、ネコの村へと人々を誘う。

異世界の入り口に見えてきて、どことなくワクワクするのである。

f:id:ina-tabi:20180710040915j:plain

f:id:ina-tabi:20180710040953j:plain

 

しかし、トンネルを出ると、そこは異世界ではなかった。

僕が思っていたほど、ネコはそこらへんにいなかったのである。

ただの田舎の村だった。

村を一周して見たネコはざっと10匹程度。

こんなん、近所の公園見渡せばいるだろと思った。

しかし、猫村の本質は「ネコが多い」ことではない。

 

まず、ネコがたくさんいる場所なんていくらでもある。

個人的に「猫カフェ」なるものを立ち上げる人もいる。

でも、それは個人レベルの話である。

『ネコの村』として、文化を根付かせようとしたことについて僕らは着目するべきではなかろうか。

 

例えば、これ。

町の様々なところに、餌が売っている。

猫に餌をあげようという村民の意識が根付いているということだ。

しかも、一種類じゃなくて、いろいろと種類があるらしい。

f:id:ina-tabi:20180710042504p:plain

 

お店のレジ。

さもネコを触ってくださいと言わんばかりに、ネコを置いている。

ストレスはないのか。

でも、気持ちよさそうに寝ている。

人とネコとの距離が近いのだ。

f:id:ina-tabi:20180710043325p:plain

 

招き猫のグッズがずらりと並ぶ。

験担ぎで観光客を呼ぼうとしている感じは中国系らしい考え方。

この発想は、台湾のどの観光地に行っても感じることだ。

f:id:ina-tabi:20180710043100j:plain

 

そこらへんの家々には、ネコが描かれている。

そしてだいたい中が猫カフェみたいになっていて、ケーキとか、パフェにまでネコがデザインされている。

f:id:ina-tabi:20180710043828j:plain

 

とにかくネコが愛されている!!!

雰囲気として賑やかになっているのも、どこか楽しげである!!!

 

ただ、僕は少し猫村の中心から離れた飲食店でお昼を食べた。

地元の人が通うごく普通の飲食店だ。

もっと暮らしに近いところに面白さがあるのではないか。

あとから作られた、おしゃれでかわいいケーキやパフェにも魅力はもちろんある。

ただ、一方で炭鉱で働いていた人が食べていた飯に近いものを求めていた。

炭鉱夫は毎日長時間汗水流して働いていただろう。

もう倒れそうになった時にやっと口にできたものはなんだったのか。

それを観光客に見せようとしたものではなくて、ごく自然な形で食べてみたかった。

パクッと一口、感じてみたかった。

炭鉱の味というものを。

f:id:ina-tabi:20180710132317j:plain

 

猫村として文化作りをして、可愛いデザイン、おしゃれなデザインであふれる村にした方が人は来るだろう。

ある意味、過疎の村を包括的によりよくする優れたブランディングかもしれない。

猫好きの人に来てくださいね!っていうメッセージがシンプルでわかりやすい。

でもコテコテな感じの印象を持ってしまった部分もあった。

ぼくは考えすぎなのだろうか。

なあネコ!君にとって、猫村は楽園なの?

ゴリゴリマッチョなネコという存在に対して、

僕は多視的にクエスチョンマークを投げかけてみた。

f:id:ina-tabi:20180710140832j:plain

 

まあいろいろ問いをネコにぶつけてみたが、

答えが出るわけでもない。

総じて猫村は面白かった。

辺境の地とか、未開の地とか、過疎の地域とか。

そういうところはどうやって経済回していこうかひたすら考えている。

交通アクセスが不便だったり、資源が乏しかったり、様々な要因で人が集まりにくい。

だから、今あるリソースに大きなレバレッジをかける。

割り箸で車を持ち上げるかのごとく、神業が炸裂する。

それがたまらなく刺激的である。

これからの日本、これからの世界。

大きなヒントはこういう最小単位の村に潜んでいるのかも。

だから、過疎&秘境巡りはやめられない。

 

そこまで大きくもなかった猫という地域の資源が、

文化づくりの過程でどんどん再考されていった。

いつの間にか、世界的に有名なネコの村になっていた。

 

そのストーリーを噛みしめることだけでも十分面白い。

建築もデザインも、全ては文化を内包して、村や街へと続くもの。

まちづくり視点で、色眼鏡をかけてみるのもたまには面白いものだ。