大食いしながら、節約してます①

僕は、大食いだ。

 

お米は、1食2合食べる。

お米って食べてて、飽きない。

ホカホカでふんわりした感じで、一粒一粒舌の上を転がっている感じがよい。

しゃりしゃりしてて、のっぺりしてない感じがよい。味にもクセがない。

だから、バクバク食べる。

そして、米がすぐなくなる。

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とにかく炭水化物が欲しい。

一食を100としたら、80は炭水化物が占める。バランスがダメすぎる。

お米を2合食べた後は、お腹が空いたら、パンとか餅とかをかじる。

色々と飽きないように、フレンチトーストとか、イソベマキとか作る。

うますぎる。

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外食は食べ放題がベストで、食べ放題の店に行ったら、全種類食べる。

もはや全部食べたい。

 

 

 

 

昨日は、実家から食料調達!

たくさんもらいすぎて重い。

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パンパンのカバンの中にパンと米が入ってる。

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カバン、やぶれる。

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このまえ、青春18きっぷ旅をした時は、大型スーパーばかりに行った。

イオンがベスト。なんでも安い。

 

大型スーパーは、おにぎり68円とかで売ってる。普通であれば、100円越え。安さにビックリ。

お財布と腹に優しい。

 

 

とにかく、「安くて腹もちがよいもの」がよい。味は若干どうでもよい。(笑)

 

もう1つ。

かならず、買うものがある。

それは、スイートブール。

ふっくらボリューミーで、スィートなパンを食べると、心もスイートに。

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あとは、自炊がやっぱり安くて一番腹もちがよい。

今日は何を作ろうか。

 

 

与えられること、与えられること。

最近、よくおごられるので、与える&与えられるってことを考えてみた。

 

人間ってみんな赤ちゃんとして生まれたときはなんもできないから、みんなとくに親からたくさんの愛情を与えられる。

そしたら、その分、人に愛情を与えられる大人に成長する。

そして、自分が介護される歳になったときに、子供に再び愛情を与えてもらう。

愛情を与えるグラフを書くとしたら、こんな感じ。

マイナススタートで、プラスになって、またマイナスに戻る。

人生フィフティーフィフティーって感じ(笑)

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このグラフって人間の道徳とか道理とかに基づいてる。

余りにも与えすぎたり、余りにも与えられすぎると、しっぺがえしくるよって話。

たとえ話が3つある。

 

1つ目は、ボランティアの話。

ボランティアって自己マンだよという話もちらほら。

余りにも与えすぎると、相手を甘やかすから、それって相手にとってマイナスだから、自分に何らかのしっぺがえしがくる。

だから、ボランティアやっていいことしたって思うときは、本当にいいことしたのかな、なんて考え込んでしまうときもある。

ちなみに、僕のボランティア論は、救急車を例えに出す(なんだそりゃ笑)。

緊急のことが起こったとき、例えば津波とか、地震とかの時って、人の生死にかかわることだから、ボランティア云々のまえにまず助けなきゃいけないっていう使命を感じる。だから、ボランティアが存在する意味って、こういうことなんだと感じる。

日本でNPOとか非営利の草の根組織ができたのも、阪神大震災が発端と言うのでこの考えはあながち間違いではない。

でも、たいして緊急性がないような本当に意味あるの?って懐疑的なボランティアもたくさんある。お金払える人なのにタダでいいよって言うとか。ボランティアはおかねのまわりが良くなくて、継続性がない活動も良く聞くので、そこは考えたいところ。

 

2つ目は、二宮尊徳の話。

二宮尊徳のお父さんは、本当かどうかわからないがいい人だったらしい。

お金を気前よく貸したり、お米を配って歩いたり、と心の優しい人だったそうだ。

ただ、ある時飢饉が訪れて、全くお米が取れなくなった。

自分や家族の食うものがなくなり、果てには着るものまでみすぼらしくなってしまった。蓄えることをせず、気前よく与えすぎたのだ。

ある時親族の葬式があって、喪服が買えなかったので、欠席するつもりだったらしい。でも、やはり葬式はでるべきと考えたのか、みすぼらしい恰好で出席したところ、はずかしい想いをした。悔しくて悔しくて、うつ状態になってしまったようだ。

さて、両親の死後、二宮尊徳は子供時代の経験を教訓にして、「貯えること」を徹底的に行い、村をたくさん再生させて有名人になった。この話から、二宮尊徳は両親の悔しさを晴らしたが、両親は生前苦労が絶えなかったことがうかがえる。つまり、この話から、安易に与えてはいけないということを心に留めておかなければいけない。

 

3つ目は、自分の話。

自分は、過去によくおごられてきた。徒歩の旅に出たときは、道中たくさんの方に食糧をいただいた。たくさんの料理でもてなされ、お風呂に入れていただいた翌日に、携帯が故障するということがあった。また、ある時はヒッチハイクで9台の車にお世話になった。途中、ある人の車に携帯を忘れて、ご迷惑をかけ、3日間携帯が使えずいろいろと苦労した。つまり、与えられすぎたときに携帯が使えなくなる。これは偶然かなにかわからない。しかし、どちらにせよおごられる時はなにか相手に対しても返す、あるいは、おごられすぎることを断るという勇気が必要だと考えている。

 

さて、ここまで考えてきたときに、与える、与えられるの感覚ってすごく大事なだなって改めて感じる。

常識的に考えて、与えすぎ?与えられすぎ?っていうことをその瞬間瞬間で考えなきゃいけない。これはもう道徳の世界。

あとで、かえしてもらえばいいじゃん?かえせばいいじゃん?って思ってもそれって自分本位だし、、、だから良識は必要。

この感覚が研ぎ澄まされている人ってほんとかっこいい。

自分もたくさん経験して、良識身につけたい。

 

なんでわざわざ?というものがなんか面白い

古民家の活動、なんでやるの?と尋ねてくる人がいる。

広いくくりで見ると、中古のマンションとかに投資すればすごく儲かるし、なんでわざわざ経済規模の少ないところに手を出すのか、求めている人少ないでしょと考える人がいる。

 

確かにそれはそうだ。ただ当たり前のことを当たり前のようにやって利益が出ましたというビジネスをした時に、確かに税金納めて社会貢献になるし、生活がきちんとできるので、それを求めて生きる人にとっては満ち足りた生活ができる。

 

ただ、それ面白い!!!!!!!!!!って言う人が何人いるかがぼくにとっての大事な基準だ。ひねりもインパクトもなく、くだらなさのない優等生的なビジネスはやりたくない。いままでのレールに乗っかっても、生きてるって感じがしない。だから、つねに斬新さを自分に求めてる。

 

都会のベンチャー経営者から見れば、古民家を単体で平面的に見ると、経済的な価値は薄いように見える。しかし、古い町として捉えたときに、「公益的な観光価値」が生まれる。また、古民家活用に含まれるメッセージ性を文字や言葉として伝えていき、多くの人にインパクトを残すことで、そこにまた価値が生まれる。そうやって、1つ1つ価値を作って工夫していくことの面白さが、すでにある市場のスキマを狙ったり、すでにあるレールに乗っかったりすることよりも自分にとっては魅力的に映る。

 

今日は、パズルづくりのイベントに場所貸しをした。ビンゴのボードがパズルになってて、配列を変えられるという。「運ではなく実力も含むビンゴ」というコンセプトは本当に面白い。たくさんこれからも面白いことをやりたい。

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面白い話ってなんだろう。

面白い話ってなんだろう。

最近、自分が面白い!と思っている話をしても受けないことがある。

で、必ず受ける話で、世界共通なのは、うんこと、エロと、ドジくらいな気がする。

 

メキシコ人がうちの古民家に泊まりに来てくれた。そのメキシコ人が言うには、これはメキシコの笑いだという。

ある動画を見せてくれた。3分クッキングをやる女性。でも、ドジすぎて、いろいろと焦がすし、こぼすし、間違えるし、でろくな物ができない。ごちゃっとしたサラダみたいなものができて完成!みたいな感じだった。

あと見せてくれたのは、爆発しそうなものを持っている人が通行人に近づいて逃げ回るみたいな感じのコメディ。

なんか、わかりやすい笑いっていうのを求めているんだなと感じる。

 

で、日本の笑いはと言うと、外国から見たら複雑。落語とかなかなか伝わりずらいんじゃないかなとおもう。だから、バカ殿みたいなわかりやすいエロみたいなものを見せると白けるけど、笑いは伝わる。安村の見えてないですよ?みたいなやつも伝わる。

そして、よく本屋で見かけるうんこドリル💩。全世界の小学生はうんこが大好きらしいので、日本全国はもちろんそれ以外の国でも販売しているらしい。

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そういえば、ブータンに行った時は、現地の人はヒマな時はエロいことしか考えてなかった。というと、語弊があるが、日本人よりはそこら辺の感覚が野性的で、自然とともに生きている人は、素直にまっすぐ生きていた。

 

そして、この前は、石川県加賀市の学習塾で中学2年生2クラス、高校1年生2クラスに授業させてもらった。テーマは「面白い話」。これまた、難しいお題だなと。恋と仕事、生きることをすべて数学で表現してみます、みたいななるほどそういう考えもあったのね、という内容で話した。生徒の反応的に、個人的には、もう少し砕けた方が受けたかなと感じた。エロとか、うんことか、どじとか、自虐とかそういうことの方がやっぱりわかりやすいのかなと。あとは、具体的に情景を浮かべられる話し方って重要でリアリティがあるほど、おもろいと笑ってくれる。小説とか映画とか見て、研究していきたい。

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おもろい話ができるようにするには、あとは場数かなと。おもろい話をして、生き方そのものが面白くなるように、生き方が面白いと思ってもらえるように、これからも一歩一歩進んでいきたい。

【8/14〜16 壮絶なヒッチハイク旅】

古民家で、毎週木曜日に寺子屋をしてくれている、まっほーと3日にわたる壮絶なヒッチハイクをした。息付く暇もない程にたくさんの方にものすごくお世話になったので、感謝の想いで投稿する。

 

ヒッチハイクは、自分にとって今必要不可欠なものだ。普段暮らしていたら、なかなか出会うことのない人種との出会いは、どんな相手に対しても逃げずにその場を上手くまとめる力を磨く。

 

これはなかなか難しい。自分は、嫌いなものを生活に組み込まないことによって、ポジティブを保ってきた節がある。カービィのように、マイナスのものは吸い込む感覚を覚えるからだ。例えば、テレビのニュースを観ていて、事件事故の報道があると、すぐにチャンネルを変えたり、耳栓をしたくなり、なぜか息苦しくなる。マイナスを見ずして、プラスを見て、プラスとプラスを比較して物事を判断するところがある。プラスになるには越したことがないと、異様に家の間取りを気にしたり、節約をしたりする。まるで、マーフィの法則を信じきっているウブな若者のようだ。

 

しかし、この考え方を貫き通すと、2つ問題が発生する。1つめが、リスクヘッジに頭が回らないということ。何だかんだで、体力にも自信があるし、マンパワーで押し切っちゃうけど、雨の日にずぶ濡れで帰ってくるとか、終電逃してベンチで仮眠するとか完全に非効率。2つ目が、マイナスの出来事が発生すると、取り返しがつかなくなる。まさに、デフレスパイラル。1つの忘れ物をすると、すぐに2つ目の忘れ物をする。3つ目の忘れ物をする。思考がまさにデフレ状態でコントロールが出来なくなる。これらの感覚は、良くも悪くも自分の生活に浸透していて、マイナスをコントロールする力を必要としていると常々感じる。

 

この特徴を持っているアーティストのナオトインティライミが過去に引きこもりになったけど、いまは元気にアーティスト活動をしていて、かなり売れている。自分もナオトインティライミのように、このスパイラルから抜け出そうと決めた。

 

ヒッチハイクは特効薬。誰と出会っても逃げずに、一枚上手な対応ができる奴でいたい。だから、例えヤンキーでも、非行少年でも、超真面目な人でも、大企業の社長でも、赤ちゃんでも、胸張って対応したい。萎縮したらダメ、笑いに持ってく。誰でもどんとこいみたいな感じ(笑)。それが、今後の自分のフリーランス生活に必要なことだと日々感じている。

 

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ヒッチハイクストーリー

【1日目東京→大阪】
1台目 八王子→甲府
ライミングのお店の社長夫婦
1週間に一回山登りに行くそうで、本当にお元気な方。北八ヶ岳に向かっていたよう。千葉にお店がたくさんあるそうで、今度伺ってみたい。

2台目 甲府→諏訪
プロサッカー選手を目指してた方
同じ匂いがしたので、最初は、陸上選手かなと思った。そしたら、久我山でプロサッカー選手目指していたらしく、びっくり。建築関連で、話が弾んだ。ぜひ、古民家にもきてくださいね。

3台目 諏訪→駒ケ岳
お子さん連れのご夫婦。
なんと、携帯を忘れた。僕は、小学校の頃、ランドセルが空っぽで帰宅するほど忘れ物をしまくる人だ。笑
名前も、連絡先も交換していなくて焦る。携帯のメッセージをみて、友人を検索してくださり、友人経由で住所を確認して、携帯を自宅まで郵送してくださる。本当に感謝しかない。みなさん返信遅くてご迷惑おかけしました。

4台目 駒ケ岳→刈谷
高校生と大学生とお母様
高校生の弟さんが、なかなか出会うことはないから、と乗せてくれた。暖かいご家庭。出会ったヒッチハイク仲間も一緒に乗った。弟さん、読書感想文は、3年分書き溜めておくなど、本当に賢すぎた。

5台目 刈谷→吹田
お子さん連れのご夫婦
お互いに意見をお持ちの良い雰囲気のパパとママ。男の子らしくシンカリオンの動画をたくさんみてた。夢を追う成長したお子さんに会ってみたくなった。

吹田からは、大阪観光をした。
新今宮の日本で最も貧困な地域の1つをブラブラ歩く。道中に、異様な匂いが漂い、警察署は日本で唯一柵がつけられている。路上には、自転車が散乱し、自販機は50円の飲み物ばかり。賞味期限切れです。この街を歩くと、通りすがりの人ににらまれ、「今月は、6万円すらないと。」などという会話がちょくちょく耳に入ってくる。別世界に来たようで、かなり衝撃的な体験だった。

【2日目大阪→鳥取→大阪】
6台目 西宮→城崎温泉
一個上の女性2人
大学院でips細胞などの研究をされている方と、小学校の先生のおふたりが声をかけてくださった。進路を変えて、鳥取砂丘の方面まで送ってくれて、本当に感謝。歳が近く、話も弾んだ。

7台目 香住→鳥取砂丘
コワモテの優しい医者
学問の話や、お医者さんの話をした。景色のきれいなオーシャンビュを見せてくれた。サービス精神旺盛な方だった。

8台目 鳥取砂丘鳥取
ミュージカル好きの男性
19:00頃のヒッチハイクで、もう暗くてボードが見えないからと、直接駐車場の車に声かけてまわった。中国地方を制覇するために車で旅をされているそう。音楽へのこだわりなどを伺えた。

9台目 鳥取インター→吹田
自動車整備士のイケメン
22:00はすぎた頃、泊まるところも無く、田んぼばかりの薄暗い中で、インターの近くでヒッチハイク。本当にこんな真夜中に車が泊まるのか、疑問だった。しかし、なんと20分もしないうちに、ブンブンエンジン音のでかい車が折り返して止まってくれた。僕らを面白そうな人だと思ってくれたらしい。25歳なのに結婚してて、車2台も持ってて、一軒家建てて、イケメンとかすごすぎた。

【3日目 大阪→東京】
吹田に戻ってきた。夜の2:00頃。もはや寝るところないかと、諦めて、夜2:00からのヒッチハイク。立っていたら辛いので、座る。もはや起きていることが辛くなり、ヒッチハイクのボードをもちながら寝るという謎の現象(笑)。5時間の後、ついに車が捕まらず、移動。万博記念公園方面まで2時間歩き、ヒッチハイクしようとするが、体力がない。もう、青春18キップで帰ることにした(大阪→東京 電車)。お盆の最終日で、混雑のリスクヘッジができて良かった。

 

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家の歴史は進化論で説明できる

家は家を淘汰する。

江戸時代は、日本全体の家を100とすると、ほぼ100が伝統工法であった。

明治に入ると、欧米の工法が、伝統工法のパイを10.20.30と奪っていった。

 

伝統とは保守のイメージがありながら、イノベーションの連続によって作られる。だから、革新的なものだ。

そんな革新的なものでさえも、欧米の工法に少しずつ淘汰された。

欧米の工法の方が優れた「種」であると認識されたからだ。

 

そんな中で、伝統工法の希少性は、高まった。そして、絶滅危惧種に指定された。だから、重要文化財や、伝統的建造物群保存地区重要伝統的建造物群保存地区のような概念が生まれた。古民家という概念ができ、昔ながらの住空間にスポットライトが当たるようになったのも、希少性が増したからだ。

 

A市では、空き家になる物件も、B市では、空き家にならないかもしれない。環境によって適応できる種とできない種があるように、家だって生息できる環境というものがあるのかもしれない。

 

進化の過程で、淘汰されゆくものに情けをかける。それが古民家活用や、空き家活用とするなら、それは何だか面白くない。自然選択に逆らっているかのようだからだ。古き良きものを取り戻したいという文脈で僕は古民家活用や、空き家活用を捉えていない。あくまでもイノベーションを繰り返してきたものとして、伝統を捉えたい。古民家は、自然の摂理や環境、気候などを踏まえた各地方で独自な造りをしている。それゆえ、生存競争に打ち勝ってきた過去がある。この素晴らしさを次のイノベーションをつくるための素材として捉えたい。

 

人口減少という目の前に迫った大きな課題。日本含め、世界の22コの国で、この問題に直面している。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国の人口増加率順リスト)

日本の歴史で考えてみれば、縄文時代鎌倉時代、江戸時代に続く4度目の人口減少。歴史的な出来事なのだ。

(https://www.recruit-ms.co.jp/research/2030/opinion/detail31.html)

その中で、様々な家という「種」が淘汰されていく。そして、空き家が増える。

家について考えることは、人口と密接に繋がっていて、選択と淘汰のなかで生かされている。

空き家問題は、人間の歴史的な課題へのアプローチでもあると感じる。

 

種は最初は同じ。そこから枝分かれして行く。これこそまさに、ダーウィンの「進化論」。

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空き家活用モデルがたくさん出てきた件について

最近は、空き家活用を行う上で、1人ではやりにくいので、各個人が得意を生かし合うことの出来る仕組みの中で、空き家再生が行われている。そこで、有名なモデルについていくつか紹介する。

 

〇ハローリノベーション

これは、鎌倉発のプロジェクト。日本全国の空き家や遊休不動産を活用したい人とマッチングするサービス。単なるマッチングではなく、プロジェクトリーダー、専門家、資金協力、一般人のDIYサポートという関わり方が用意されている点が特徴。ヒトモノカネが一挙に集まる仕組みはとても魅力的。

(https://hello-renovation.jp/intro2/)

 

〇MAD City

千葉県松戸市発のプロジェクト。主な内容は、①DIY可能な部屋の賃貸②暮らしのサポート9コ③共有ルームの施設運営④イベント&コワーキングスペース運営⑤コラム記事作成⑥ビジネスサポート⑦メールマガジンである。暮らしのサポートは、街のコンシェルジュDIYサポート、共有ルームの提供、入居者限定の交流会、MAD Cityの各種イベント割引、入居者の活動発信、地域コミュニティ(お祭りなど)の紹介、DIYにより家賃上昇した場合の3ヶ月分キャッシュバック、不動産屋(omusubi不動産)の物件紹介等専門サポート、と言った内容だ。つまり、色々と活動しているクリエイティブ層が、賃貸物件に住んで、暮らしていくサポートを沢山しているという感じ。

(https://madcity.jp/concept/#main)

 

〇空き家レンジャー

逗子発のプロジェクト。みんなでワイワイDIYをしているのだが、その手法が変わっている。それぞれの特技を肩書きに色で名前を呼び合い、役割分担をして、空き家改修を行っている。シェアハウスの改修では、募集をせずとも住人が集まるというコミュニティの力が魅力だ。

(https://reallocal.jp/31470)

 

現在820万戸の空き家がある中で、各地に空き家活用のコミュニティやプラットフォームが誕生しつつある。それぞれが土地や集まる人の特色を生かして、ユニークな活動に発展している。やはり、このようなプラットフォームの力があってこそ、空き家問題というスケールの大きな問題にアプローチ出来るのだろう。これからも各地の動きを見守りたい。

 

東京都日野市でも、大きな仕組みの中で、特技を活かし合いながら、空き家再生に取り組む動きがこれから出てくるかもしれないと感じている今日この頃。こちらは、サルスベリの花が綺麗に咲いているうちの古民家。

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